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日本人の頭を下げる文化に伴う言葉 (Japanese Bowing Culture from a Pragmatic Perspective)

82 – 473 (Japanese Language and Culture from a Pragmatic Perspective) *アブストラクト:本研究は日本の頭を下げる文化に伴う言葉を扱っていて、お辞儀と会釈と一緒に使われる言葉をその目的と言い方の二つの種類に分けてアメリカの文化、言語と比較する。日本人はお辞儀と会釈を使いながら話すので、その二つは日本文化で会話の一部になっている。お辞儀と会釈をする時言う言葉は普通あまり気が付かないで自然に出るから、ちゃんと観察して分析すると面白い結果が出ると思った。とりわけ、私はお辞儀や会釈と言葉の調和が立ち居振る舞いや言葉付きのような日本的な国民性にどのように影響するかを考察する。この論文のために学術論文を参考していて、データは日本人とアメリカ人のインタビュー、ドラマやイーメールから取っている。   本研究は日本人の頭を下げる文化に伴う言葉を分析する。ここで頭を下げる文化 はお辞儀や会釈や土下座などの全般的に頭と体上半身を下げる行動を意味する。 大切なポイントは本研究はお辞儀と会釈よりその二つと同伴する「言葉」に重点 を置くことで、お辞儀という行動よりお辞儀と会釈と一緒に使われている言葉に 集中して社会言語的な観点から全体的に頭を下げる文化を大きく見ることだ。つ まり、本調査では言葉の分析が主体で、お辞儀と会釈は「お辞儀の言語」を補助 する役割を持っている。研究を通じて明らかにしたいのはお辞儀に伴う言語の目 的と言い方と社会文化的な理由だ。まず、データからたくさんのサンプルを集め て言葉の意図によってお辞儀に伴う言語をいろいろなスピーチアクトに分ける方 法でお辞儀に伴う言葉の目的を分析する。そして言い方は、お辞儀や会釈をする 時どんな言葉を、誰に、どういう風に言うかを見て分析する。

夢の国籍の所有者 (People of dreamed nationality)

82-474: Topics in Japanese Studies (Rethinking Culture from the Marginal Voices of Japan)   世界化されている今の世界ではたくさんの人々が外国に住んでいる。その人々は何年間そこで住んでいても自分の外貌や民族性のせいで何かが違う「外国人」としていろいろ差別されている。在日朝鮮人はその少数派のグループの一つだ。在日朝鮮人というのは日帝強制占領期間に韓国から日本に行った朝鮮籍の人々が、戦後の解放後でも日本に帰化しないで北朝鮮や韓国のどちらの国籍も選ばず、そのまま日本で「朝鮮」の国籍を持って生きている人々だ。私は去年韓国のヨンセ大学に交換学生として留学したとき、日本語の授業で在日朝鮮人の学生についてのドキュメンタリーを見て、初めて在日朝鮮人について知ることになったので、韓国人でも北朝鮮人でも日本人でもない人々を見てとてもおもしろいグループだと思った。このトピックのために私は「Bringing class back in」と「Zainichi Korean Identity and Ethnicity」という二つの論文を読んで、「ウリハッキョ」という韓国のドキュメンタリーと「パッチギ!」という日本映画を見たので、その参考資料を通じて在日朝鮮人は今の日本の社会で若い人も大人もどのように少数派になっているかわかった。 まず、「在日朝鮮人」という単語はいろいろな「在日」の種類の一つを呼ぶ特定の単語だ。「Zainichi Korean Identity and Ethnicity」によると在日というのは日本にいる外国人を意味するけど、たいてい日本に住んでいる韓国人を呼んでとても広い意味を持っている。在日朝鮮人は韓国の国籍を持って日本に長い間住んでいる「在日韓国人」とは違う。「Bringing class back in」で書いてある在日朝鮮人の歴史は次のページにある表とも一致する。今の韓国が北朝鮮と南の韓国に分かれる前に韓国は「朝鮮」という国の一部だったので、日帝強制占領期間が始まった1910年から日本の足りない労働力のために移住させられて、1938年には日本に住んでいた韓国人の人口は800,000人だった。世界大戦が始まった後で日本軍は940,000人ぐらいの朝鮮軍を日本に集めた。その結果、戦後に日本に住んでいた韓国人は200万人になった。150万人はすぐ朝鮮に帰ったけど、残りはいつか朝鮮に帰ろうと考えながら日本にいたが、1948年に朝鮮が北朝鮮と南の韓国に離れたり1950年に大きな韓国戦争があったりしたので、日本にもっと住むことにしてそれが永遠に「家」になってしまった。つまり、日帝強制占領期間に韓国から日本に来た人々が戦後二つの国に分けられた韓国に戻らず、北朝鮮も韓国の国籍も日本の国籍も選ばないで日本で朝鮮人として生きている人が在日朝鮮人だ。今日本にいる在日朝鮮人の人口を見せる正式な資料はない。何かの理由で彼らの人口が書いてある「Lists of registered foreigners」は日本の政府が一般人に公開していないからだ。でも、ウェブで探した統計によると在日韓国人と合わせられた在日朝鮮人の人口は2010年三月末に578,495人で、私のビデオの資料は今日本に住んでいる在日朝鮮人は第3世代から第5世代の人々だと言っている。      「ウリハッキョ」は在日朝鮮人が若い頃から在日朝鮮人という国籍のせいで経験するアイデンティティの問題や日本社会からの差別を見せている。このドキュメンタリーは韓国の監督が2004年から三年間北海道の唯一の朝鮮小中高級学校で観察して作った作品だ。その学校にかよっている学生は日本の学校から転学してきた学生もいて朝鮮学校に数年間通った後日本の学校に転学する学生もいるけど、たいていの学生は小学校から高校まで12年間その学校に通う。彼らは自分たちが日本で民族性を守ることは韓国で民族性を守ることとは違って、日本に在日として住んでいる間内面的なことをよく守っても外面に出ないとそれが少しずつ内面に浸透されて日本人と同じようになってしまうから、韓国語や韓国の文化を習える朝鮮学校に行くことに決めたと言っている。在日朝鮮人と在日韓国人の民族性の守り方の相違点を考えてみると、そのインタビューの内容のように在日朝鮮人の若者が在日韓国人の人より民族性を守ることが大変だと思われる。なぜなら、在日韓国人は何世代であるかは彼らの家族によって違う。だから、今日本にいる在日韓国人の中には韓国の文化や根について直接に教えることができる第一世代が両親である第二世代もたくさんあることを意味する。そして在日韓国人は韓国かときどきには日本の国籍を持っているので、それを使って韓国に旅行したり韓国の言語や文化をたくさん体験して日本に帰ったりすることができる。しかし、在日朝鮮人は前にも書いたように今日本にいる人が第三世代から第五世代までなので、日本にもう長い間住んでいた人々だから、民族性を守らせる要素の「朝鮮」に対する知識が足りない。そしてたいていの在日朝鮮人は正式の国政を持っていないので、特別な場合以外には北朝鮮や韓国にの旅行は個人的にできない。結果的に、彼らの民族性を守らせる機会があまいない理由で在日朝鮮人の若者が日本社会の中で民族性を守るのはとても難しいそうだ。学生のそんな精神や先生たちの努力に感動して北海道朝鮮学校を手伝うようにした日本人がこのドキュメンタリーで紹介されている。ある有名なサッカーの学校を卒業した藤代というサッカー監督は日本の高校の仕事の変わりにあまり支援がない朝鮮学校を選んで、鈴木という日本の学校の先生は「北海道朝鮮学校を支える会」という支援団体を作って学校の前にスクールゾーンを作ることを札幌市の議会に提案することなどの朝鮮人の国籍を持ってはできないいろいろなことを朝鮮学校のためにしている。でも、そんな日本人からの手伝いは少数だけで、学生の悲壮な覚悟は日本社会からの差別に威嚇されているのがほとんどだ。「ウリハッキョ」の先生たちによると学校にときどき日本人から朝鮮人の学生を脅迫する電話がかけられたり韓国の銀行に爆弾が設置されたりする。学生が卒業旅行のために北朝鮮に行って戻った時は前に北朝鮮に拉致された日本人が港口にたくさん来て「朝鮮人の学生は船から下りないで帰れ!」というサインを持ってデモしたこともある。他にもっと間接的な差別を見ると、朝鮮学校は日本の学校とは違う各種学校に分類されるので、公式的に学校の卒業の資格も大学の受験資格ももらえない。そしていろいろな高校の公式ゲームも90年から参加できることにはなったが、今も他の学校のように宿泊費や交通費の支援を受けられない。      次の資料の「パッチギ!」は井筒和幸監督が2004年作った日本映画で、ある在日朝鮮人の家族の生活を描いている。主人公のギョンジャは一生懸命努力して有名な女優になったけど、日本の観衆からいつも自分が在日朝鮮人であることを秘めなければいけないので名前を「青山良子」という日本の名前に変えたりうそをついたりしながら困ったり怒ったりしている。映画の中の監督は日本の観衆は日本のドラマやエンターテイメントから出る人は日本人だから応援するので、ギョンジャが在日朝鮮人だと知ることになると彼女の芸能界の生活は終わりだと言う。面接の時彼女に彼は「北からか南からか」と聞いて女優がパスポートもないことはとても変だと言う。そしてギョンジャは恋人の日本人の男からも後で「韓国人は人間の種類が違うから」自分の親も彼女との結婚は承諾しないと思うと言われる。つまり、彼女は在日朝鮮人に対する偏見と差別の理由で女優の仕事をやめる。この映画は日本人の監督に製作された作品なので、韓国のドキュメンタリーの「ウリハッキョ」とは違う角度から同じの問題を見ることができておもしろかった。しかし、悲しいのは大人になっても日本社会から差別される在日朝鮮人の状況の確認だった。     私の資料を分析した結果、在日朝鮮人に対する日本社会の差別の理由は大きく三つあると考えられる。最初に、両方のビデオで描かれたように日本社会の在日朝鮮人がこんなに無視されている理由は多文化主義のカナダやアメリカと違って、日本は単一民族論や日本人論が広がっているからだ。だから日本人は外国人と日本人をはっきり別していて、多文化主義の国の人より外国人に対する偏見を持ちやすい。日本にいる人々が「日本人」と「その他」に分けられている今の日本社会の中で在日朝鮮人はその外国人の一つのグループになっている。他の理由は日帝強制占領期間の結果だ。ヨーロッパの人々がアフリカ人を長い間奴隷にした結果、アメリカなどの国で後で黒人が白人と同等になったけど、まだ人種的に差別されていたようにたくさんの日本人が韓国人の全体を歴史的にもう自分の下にいたことがある人として見下す傾向があると思われる。だから、「Bringing class back in」の中でインタビューした朝鮮人が言ったように、仕事の面接をする時最初は大丈夫だったけど自分の国籍が確認された後でときどき断られる場合もある。彼らが正式の国籍がないことは今の時代まで在日朝鮮人が社会的に無視されていることに深刻さを加えているので、それは在日朝鮮人が日本社会から差別されている最後の理由と関係がある。在日朝鮮人は正式の国籍がない想像の人々であることだ。「Bringing class back in」は日本政府が1950年代にサンフランシスコの平和条約を通じて朝鮮人が日本の国籍を持つことを禁止して在日朝鮮人が実質的に市民権がない人になってから失業率が日本人の失業率より14.2倍も高かったと言っている。それを原因にして貧乏が高い犯罪率と低い教育率を生んだ。その以外に単純に考えてみても市民権を持っていないというのはたくさんの不利益を意味する。どの国の市民として存在していないのはどの国の保護や権利がもらえないことを意味し、いろいろなところで書類の処理も大変だし、正式のパスポートもないから旅行もしにくい。海外で道に迷った子供が自分について何も知らない場合と似ている。そのいろいろな理由で、「在日朝鮮人」のタイトルは聞くだけでも差別を招く名前になってしまったと考えられる。      私が選んだ四つの資料は日本社会で在日朝鮮人がどのように差別されているをよく示している。「ウリハッキョ」の学生は直接日本人から嫌われるように表現をされていて、普通の日本の学校と同じような待遇ではないように社会の制度からも除外されている。おもしろいことは若い学生を脅迫するグループは子供から大人まで広い範囲の日本人だとのことだ。「パッチギ!」は在日朝鮮人が大人になっても経験する現実的な差別を描いていて、芸能界の女優には在日朝鮮人という荷札はとてもあぶないと感じられていることを知ってびっくりした。最後に、「Bringing class back in」と「Zainichi Korean Read More